東京太先生のこと

先生は楽屋で会うと、
「おっ!松戸の若旦那、元気か?」
と話し掛けてくれ、私は先生に
「これはこれは、松戸の大旦那」
と応えるのがお決まりでした。

まだ楽屋入りする前に、師匠のお宅で京太先生の話になった時、師匠がボソっと
「京太さんは良い人だからなぁ」
と言ったのが何だか深く印象に残り、その印象は変わる事がありませんでした。

二ツ目の頃に、松戸での地域寄席をお願いした時の事。
「近いんだから、又いつでもくるから」
と言って頂きました。
(ゆめ子先生にも、楽屋で度々そう言ってもらいました。)

先生の良い人に付け込んで、その会を何度も助けて頂き、真打昇進の時には口上にも並んで頂きました。
着ていた黒紋付きは、師匠の千代若先生からの形見分けだったらしく、なかなか着る機会が無かったからと喜んで下さり、真打昇進十年の記念の会も助けて頂きました。

松戸には、ご存知の通り競輪場があります。
恥ずかしながら私はギャンブルを一切やらないので、少し前に仲間数人に
「松戸に住んでるけど、競輪を一度もやった事が無いので一緒にやりに行かない?」
と話をし、私が幹事で松戸競輪ツアーを企画する事になりました。

折角なら、以前競輪のラジオ番組もやっていた京太先生を誘ってみようとなり、先生に話をすると二つ返事でオッケー。
ところが、先生が知り合いの関係者の方に問い合わせて頂いた所によると、競輪場が工事中との事。
それじゃぁ、工事が終わった頃によろしくお願い致しますと話をしました。

今年になり、そろそろ松戸競輪体験を実施しようと、競輪に詳しい仲間や興味のある仲間を誘い、去年の暮れから寄席を休んでいた京太先生の具合を事務局に訊ねてみると、携帯は繋がるとの事。
それじゃぁと電話をしたのが2月2日の事。先生は電話には出られませんでした。

松戸競輪、御一緒したかった。

去年の10月11日が、先生とちゃんと話をした最後。
末廣亭昼席の楽屋で、先生から電車の乗り継ぎの事を質問され、それに答えて、二人で写真を撮ってもらいました。

「最近よく写真撮ってくれって言われるんだよ。そろそろ危ないと思ってるんだろ(笑)」
と言われた事に、普段はそんな事を思わないのに、何だか寂しいような気がして、
「そんな事思ってませんよ」
と、撮った写真を削除しました。

数日後、弟弟子から
「京太先生が、兄さんのお陰で助かったって仰ってました」
と聞きました。
こっちは先生にどれ程助けて頂いたか、分かりません。

松戸の大旦那は、最後まで本当に良い人でした。

春風亭小柳枝師匠のこと

前座の頃だったか、それとも二ツ目に昇進したばかりの頃だったか、師匠方に連れられて浅草の居酒屋に行った時の事

お酒も入って御機嫌になった師匠方が一番先輩の小柳枝師匠をからかい出しました
「兄さんは変わってるとこあるんだよ、AB型だからなぁ」
「そうだ、小柳枝師匠はAB型でしたねぇ」
苦笑いをしている小柳枝師匠
それを聞いて黙っているのもなんなので私が
「実は私もAB型なんです」
すると、小柳枝師匠は
「そうか!花ちゃんもAB型か!」

私の手を取り喜んで下さいました。

稽古もつけて頂きました

飲んでいる時に何かの流れで『死神』の話題になりました
「師匠やられるんですか?」
「うん、今輔師匠に稽古つけてもらったんだよ」
「そうなんですか、それじゃぁ教えて頂けないでしょうか?」
数日後、今の小柳さんから
「うちの師匠から、兄さんに『死神』の稽古つけるから一緒に稽古つけるって言われたんですけど、うちの師匠『死神』やるんですか?」
「それがさぁ、聞いたこと無いけど頼んじゃった」

いま考えたら、とんでもなく失礼な話です。

師匠がよく飲みながら話をして下さったのは、相手が私だからかもしれませんが同じ四谷荒木町出身で学校の大先輩だった大師匠先代助六の思い出

年齢は近いが芸歴では先輩になる先代柳橋師匠や橘ノ圓師匠に対する感謝

それに最初の師匠である四代目柳好師匠の事
師匠が若い頃に『時そば』の中に新しいくすぐりを入れてみた事があったそうです、その時に柳好師匠に言われたのが
「欲張っちゃぁいけねぇぞ」
それともう一つ
「落語を信じなさい」
この二つはよく若手に仰っていたので師匠の中でも大切な言葉だったのではないでしょうか

そして私が師匠の仰った言葉で一番印象に残っているのは
「落語ってのは人間万歳、人間賛歌なんだよ」

まさにそれを体現されている師匠でした。

一度だけ師匠に褒めて頂いた事があります

地元でやっている地域寄席を師匠に助けて頂いた時のこと
会も盛況でお客様にも喜んで貰い打ち上げに
この打ち上げもお酒が入って大盛り上がり
「この会は私が行きつけにしてる飲み屋の常連さん達がやってくれてるんで、酒飲みばっかりなんです、すいません」
お詫び申し上げると師匠は満面の笑顔で
「うん!それが正しい噺家の生き方だ!」

以上、ちょっぴり自慢話でした。

十月下席浅草演芸ホール後半 夜の部(10月26日〜30日)

まだまだ色々と心配の多い日が続いていますが、連日大勢のお客様に御来場頂き御礼申し上げます

初日『抜け雀』
二日目『死神』
三日目『井戸の茶碗』
四日目『七段目』
千穐楽『さんま芝居』

やりたいなぁと思っていたネタを掛ける事が出来とても有意義な五日間でした。

橘家圓平師匠のこと

高校生の頃に浅草演芸ホールお盆特別興行に『住吉踊り』を目当てで見に行った時の事。
次から次へと出てくる師匠方先生方が立ち見の方も大勢いる超満員のお客さんを沸かせる中で高座に出てきた圓平師匠、ネタは『ぞろぞろ』、さっきまで爆笑の渦だった客席が水を打ったような静けさ、これだけの人がいてこんなに静になるんだと思ったのを覚えています。
話は進んでいよいよサゲの一言、その瞬間今まで水を打ったように静だった超満員のお客さんが大爆笑、本当にお腹にドカーンと笑い声が響いた気がしました
その時の私が抱いた師匠に対しての感想は”カッコいい”

二ツ目になり数年後に『住吉踊り』に入れて頂き圓平師匠とも面識が出来たので『ぞろぞろ』の稽古を付けて頂きました。
嬉しかったですが “こんな風には出来ないや” とも思いました。

今月の勉強会で久し振りに高座に掛けようと思い録音を聞きながら “師匠はお元気かなぁ” と考えていたので訃報を知り驚きました。

所属する協会も違いますし親しくさせて頂いていたわけでも無いので、亡くなられた師匠について文章を書くのは個人的なブログとはいえ違う気もするのですが、私の客席に座っていた頃の寄席の思い出の中で間違い無く五本の指に入る印象深い高座でしたので文字にしておきたくなってしまいました。

あの時の師匠のような高座が出来るようになるには後何年掛かるやら。

第四・五回 雷門小助六独演会

昨日は《第四・五回 雷門小助六独演会》御来場頂きありがとうございました

昼夜二回公演は初めての試みでしたが両方に御来場の方が思っていたより多数いらっしゃり嬉しい驚きがありました

私の力及ばない所はゲストの澤雪絵さんと北海翼くんに助けられ感想を聞く限りお客様にも満足頂けたようで安堵致しました

次回は来年の1月16日14時開演で場所も今回と同じ江戸東京博物館小ホール、お時間ありましたらよろしくお願い致します。